平生釟三郎 略伝
平生釟三郎
創立者、平生は1866年(慶応2年)現在の岐阜市加納に生まれ、武士気質の厳格な父の訓練を受けた。東京外国語学校、東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業、翌年韓国の仁川税関に赴任した。
1893年(明治26年)神戸商業学校(現在の兵庫県立神戸商業高等学校)の校長に就任した。翌年招かれて東京海上火災保険会社に入社し、1900年以後大阪、神戸両支店長を兼任し、経営を軌道に乗せた。灘購買組合(現在の生活協同組合コープこうべ)の設立を後援するなど、社会奉仕にも力を注いだ。
当時の日本が欧米先進国に比し、文明、ことに社会理論に劣っていることを痛感し、自由な教育を通じて、すぐれた人間の育成を急務と考え、教育活動にも視野を拡げていった。阪神在住の財界人、住吉の有志と協力し、1911年(明治44年)甲南幼稚園、翌1912年(明治45年)には甲南小学校の創立にあたった。更に甲南中学校、甲南高等学校、甲南病院の設立に尽力した。また、1936年(昭和11年)には文部大臣に任ぜられた。
そして、1945年(昭和20年)79歳余の生涯を閉じた。
墓は住吉山手の小林墓地に建てられている。